【あてなるもの 削り氷に あまずら入れて あたらしきかなまりに入れたる】
こちらは 枕草子 42段より
上品なものといえば 削った氷に 甘葛を入れて 真新しい 金属製の椀に入れたもの かき氷の原型と言われています。
平安時代、清少納言もかき氷を食べていたのですね。
甘葛とは、蔦の樹液を煮詰めてシロップにしたものと言われています。
6月1日、福岡のNHK文化センターの和菓子文化講座に行って来ました。
「日本の四季折々、自然豊かな風土と文化が生んだ和菓子の世界を一緒に紐解いてみませんか?」の言葉に誘われました。
講師は、太宰府藤丸の藤丸阿弥さん お菓子とお茶付きにも惹かれました。
まずは、学んだばかりのお菓子の歴史を少々。縄文時代の食卓にも、木の実や豆、団栗、栗、胡桃などが並びました。弥生時代になると、桃、柿(渋柿)、豆。稲や麦などの農耕も始まり日本の和食の原点です。奈良時代は、仏教とともに、杏仁、蜜蝋(ハチミツ)、桂心(シナモン)、甘葛などが伝わり、和菓子の基礎ができます。鎌倉時代は、禅宗の栄西が茶を広め、饂飩、饅頭、外郎など、粉を使った文化も広がっていきます。
博多駅近くの妙楽寺には、ういろう伝来の地の石碑があります。安土桃山時代、南蛮菓子である金平糖、カステラ、ボーロが伝わってきます。修道院で作られていた金平糖の核はウイキョウ(フェンネル)のタネで消化促進、たんを取り去る効果があります。この頃琉球では、サトウキビの栽培が盛んで、お菓子も作られています。
江戸時代になると、幕府により梅や柑橘類の栽培が奨励され、砂糖の需要が高まり、阿波和三盆が誕生します。近代は、甜菜糖が北海道で栽培されるようになります。甜菜糖は、ナポレオンのエジプト遠征で砂糖の流通が止まったため、ドイツ人化学者が、蕪のスープの甘さに着目して発明したものです。
人間、昔から困難にぶつかると、知恵を絞って乗り切っています。もちろんコロナもそうなっていくでしょう。
さて、お楽しみのお菓子は、「水無月」と「青梅」二個もありました。
「氷室」とは、朝廷が、天然の氷を夏まで保存するため、涼しい山中に穴を掘り作らせたものです。
庶民は、手に入らない氷の代わりに氷の形に切り分けた外郎の上に、魔除けの小豆を載せた「水無月」を、一年の半分が終わる6月30日に夏を健康に過ごそうと食べました。
最近、博多の和菓子屋さんでは、水無月キャンペーンとして、それぞれのお店が独自の水無月を売り出しています。
古式に習い、お菓子を食べ、お茶を飲んで、くよくよしないで 明るく元気に暮らしましょう!